Thread journey / 糸の旅
-家で糸を巻いて旅に出よう-
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「窓が包む世界」
「窓が包む世界」
「窓が包む世界」
「私の土」投稿こだま
藝大美術館
「私の土」のワークショップに参加した方から送られてきた、土やその土地の写真のデータと、それにまつわるテキストを掲載していきます。
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私の家族が大学生だった頃
大好きな街、横浜の海や、山や町並みが見渡せる丘の土です。
開発が進んで、住宅が立ち並ぶようになってしまった中でも、少しだけ、地域に解放されたところから丘に立ち、景色を見ると、また、頑張ろうと思えたり、悩んでいた事も、悲しい事も、少しずつ洗われていくような心落ち着く場所です。

2013年6月16日は父の日だった。塾から帰ろうとした私は猫好きな父のために何かプレゼントを買おうと思い、駅ビルの雑貨屋さんでかわいいねこちゃんのポストカードをパスモで買った。プレゼントを買い終え、いざ改札に入ろうとすると、パスモの残高が足りず入れなかった。仕方なく、6キロ先の自宅まで歩いて帰ることにした。帰り道には江戸川土手があり、生き物を探しながら歩いた。すると私の行手に大きな綱のような生き物が横たわっているのを発見した。アオダイショウであるということはすぐに分かったが、大きさが分からず、草むらから飛び出したしっぽを叩いてみた。すると草むらから頭が飛び出てきたので、急いでむんずと掴み上げた。この時、初めて大きさが分かった。私の足首から肩にかけて巻きついてきた彼は、ゆうに1.7mを超えていた。当時の私の身長が1.4mほどであったので彼の力で顔が歪んだ。しばらく格闘を続け、スタミナで私が勝った。うでにまきつけ、家に帰った。そして、ねこちゃんのポストカードを渡そうとするが、ポケットからは無くなっていた。父の日のプレゼントはアオダイショウということにした。

六鸭の土
今まで生きて来た中で、神戸で思い出が出来るなんて思ってもいなかった。思えば、急に転校・引越し、そんなことばかりの19年問だったから想像出来なかった訳でもないけれど、今回は父一人だけで単身赴任の予定だったから、神戸に緑は無いなぁと思っていた。けれどコロナの中色んな事情で1ヶ月だけ神 戸に来ることになって、六甲の麓の父の借り家に来て、東京とはまた違う生活を送っている。朝早く起きて山道を歩いたり、上の方にいる鴨鹿に会ったり、森の中で作品を作ったり。山と海が非常に近い神戸でしかできないことを日々色々やっている。まだ神戸にいるし、思い出になりきれてない出来事だけれども、8月から次は北海道に行くことが決まった父は、もう観光以外では神戸に来ないかな、と言っていた。神戸、六甲山の麓でのこの1ヶ月はエピソードになると思った。雨で濡れた土を手で触るのがとても心地よかった。

1 スズキ リサク
2 とないぼしょ
3 毎年見ている 桜の木の下でとりました。
4 「桜の木の下には」

東京駅バスターミナルの木の根元の土
芸大受験のために地方から夜行バスでやってきた日の早朝、鞄から荷物を取り出す際、センター試験と藝大受験の受験票を落としてしまった。2月末の東京のビル街を駆ける風は強く、二枚の紙は飛ばされた。誰も拾ってくれなかったが、その木の根元だけは受け止めてくれた。受験期の緊張と不安、憂鬱、孤独の中で木の優しさに触れられた。そのときの木の根本から取った土だ。

「皮膚」
去年の夏、大学受験の作品制作の為にゼラニウムを育て始めた。しかし、私が住む大阪の実家では広々と花を育てられる場所や環境が無かった為、奈良にある祖母の庭を借りることにした。花の様子を見に月に3回ほど祖母の家を訪れるようになり、時にはそのまま泊まったりして、徐々に祖母と過ごす時間が増えていった。
私は幼い頃から血縁関係が苦手だ。特に祖父母にあたる存在が私にとっては特に脅威的で、近づき難いという認識だった。しかし祖母と一緒に食事をしたり、花を育てたりするうちに少しずつだが安心して話せるようになっていった。大学に合格した今でも、祖母と一緒に育てたゼラニウムの苗の一部を植え替え東京で育てている。毎朝水やりをす る時、祖母や私が過ごした時間が土にも染み込んでいるような気がしてどこか安心する。

・私の家族と祖父母で。小さい頃バーベキューをした。
・同じく小さい頃、大きな鉢で金魚をたくさん飼った
祖父母の家には今もよく行きますが、庭にはあまり行かなくなったため思い出は小さい頃のものばかりです。

京都府京都市 地元の公園
小学生の中学年頃まで週の半分以上は友達とこの公園に放課後集まって遊んでいた。バラあてやドッジボール、色おになどの公園遊びが苦手だった私は、この公園の端の方で自分のシール手帳を持ってきて友達とシール交換をして遊んでいた。

ここに来たかったわけでも来たくなかったわけでもない。流れるように住んだ場所。大切な場所と聞いて、前に住んでいた土地の景色ばかりが思い浮かんだけれど、今ここでしか動けないみたいだったから 、毎朝見ている木のふもとを選んだ。部屋の窓からその姿は見える。ベッドから降りると流れるようにその木が目に入る。まだ昔の居場所にばかり思いを馳せているけれど、いつかここを思い出すとき、この姿が思い浮かぶかもしれない。

自宅から南に10分下ったところに深川図書館という図書館があります。初めてそこに行った時は駅から携帯の地図を見て行ったのですが、案外自宅からの方が近いことを知り、2回目からは自宅から行くことにしました。しかし私は色々あって外で携帯が使えなかったのですが「下に下るだけだし大丈夫だろう」という安易な気持ちで出かけました。
”緑がたくさんあるところ””下に下るだけ”という単純すぎる認識だけで出かけたのですが、自分が思っていた以上に緑が街に生い茂っていてたどり着けずに迷子になりました。結局本来10分ほどで行ける場所に1時間半かけて行くことになってしまいました。
4年間住んでいたバンコクは都会で木や土と行ったものを見かけることは少なく、東京もまあ発展したと買い出し整備されてはいるだろうけども...という認識だったのですが、想像以上に緑が育まれていて正直感動しました。
その緑を育む元になる土に再び会いに行こうと今日も図書館の近くにある、目印にしていた緑の生い茂る”清澄公園”に行ってきました。

今まで母と出かけた時はいつも一緒に帰っていたのに、今回は母を見送って自分だけがここに残った。いよいよ初めての一人暮らしが始まる!という気持ちを一番感じた場所です。

庭の土。歴代のペットたちが眠る。
クリスマス、瓜坊、銀将、スペック。
何度か衝動に駆られて骨になった彼らを掘り起こそうとしたけど、成功した試しがない。
きっと土に溶けてしまっているのだろう。だからこれは混じりあった四人の血肉と魂。

「旅の終わり、物語の始まり」
この土は、この家に来るまでどこの土なのか分かりません。商品として売られる為にきっと色んな所の土と混ざり合って、栄養たっぷりな土として我が家に来たのです。そんな土との思い出の中で最も印象に残ったエピソードは兄の結婚式です。歳が離れた兄が結婚し、我が家で結婚パーティーを開きました。兄とは腹違いだったので、私が知らない兄の親戚や友人が沢山家にきました。私にとって知らない人が沢山我が家に来ているという不思議な感覚になりました。
兄の結婚パーティーを華やかにする為に栄養たっぷりな土がやってきました。そんな土との物語の始まりは今を思い返せば兄の結婚から始まったかも知れません。

私は今すんでいる熊本が嫌いだった。
引っ越す前の地が好きだったから。
思い出の地 と言われて思い起こすのはどれも熊本ではなかった。
あきらめて家の庭の土をとることにした。
思い出なんかない。と思っていたのだけど土を掘っていると、
色々思い出すものがあった。
飼い犬が庭から脱走して大さわぎで探したこと。
小さいビニールプールで友達と遊んだこと。
夏のおわりには毎年花火をすること。
キャンプにあこがれて庭にテントをはってもらったこと。
死んでしまった金魚を泣く泣く埋めたこと。
七夕にねがいごととササの木をもやしたこと。
夏の、家族や友達との にぎやかな思い出がたくさんあった。
私は本当はかなり熊本が好きかもしれない と思った。
そんなエピソード。

幼い頃から訪れていた地元の公園。誰が呼んだわけでもなく、自然とみんなが集まり、サッカーをしていた中一の春の日が最も印象に残っているエピソード。また、この公園を取り囲む街全体がとても好きだ。